ミナミまち物語 シネマ・ヒストリー

ミナミまち物語 シネマ・ヒストリー

『日本映画のふるさと ミナミ 』 1.日本初の映画上映地

日本で最初にスクリーン投影式の映画
(いわゆる今日の映画)が上映されたのは、
これまで京都といわれてきましたが、
実は違っていました。
何と大阪の難波で行われていたのです。

心斎橋の舶来品雑貨商、荒木和一(わいち)が
渡米中の明治29(1896)年8月中旬、
エジソン商会の映写機ヴァイタスコープの映像を
シカゴの劇場で観て感動し、
すぐにニューヨークへ向かいました。
そしてエジソン本人に直談判し、
映写機とフィルムを購入したのです。凄い行動力!

その年の11月、重さ60キロの装置が
船便で日本に到着しました。
ヴァイタスコープはエジソンが推し進めていた
直流の電動式。しかし大阪の電気は交流。動かない。
そこで電気変換器を探し回った末、
鉄道車両、ポンプ、製紙機械などを製造していた
福岡鉄工所に変換器があることがわかり、
12月のある日(期日は特定できていません)、
そこで試写が行われました。

鉄工所は南海難波駅の西側、
「難波中」交差点の北東角にありました。
複合施設「なんばパークス」を南に望めるところで、
大きな換気塔がそびえています。
当時の住所は大阪市南区蔵前町。
現住所は中央区難波5丁目と浪速区難波中2丁目に
またがっています。

これが本邦初の映画上映です。
荒木の回想録から、このとき映された映像が
ニューヨークの繁華街ヘラルド・スクエアの雑踏
(40秒ほど)であることがほぼ判明しました。
YouTubeで観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=PRf5z75-GbU

【プロフィール】
武部好伸 (タケベヨシノブ)
エッセイスト。1954年 大阪市生まれ。大阪大学文学部美学科卒業。元読売新聞大阪本社記者。
映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動に励む。日本経済新聞、その他多くのメディアに映画評、映画エッセーを寄稿。
日本ペンクラブ会員、関西大学社会学部非常勤講師。
著書に『大阪「映画」事始め』(彩流社)、『ぜんぶ大阪の映画やねん』(平凡社)、『ウイスキーアンド シネマ 琥珀色の名脇役たち』(淡交社)、『ウイスキー アンド シネマ 2 心も酔わせる名優たち』(同)、「ケルト」紀行シリーズ全10巻(彩流社)など多数。
武部好伸公式Blog/酒と映画と旅の日々
http://www.takebeyoshinobu.com

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