ミナミまち物語 シネマ・ヒストリー

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『日本映画のふるさと ミナミ 』 5.新世界国際劇場

ミナミの映画館建設ラッシュ時代に、演劇場から映画館への転用があり、用途転用された映画館として現存する新世界国際劇場を紹介する。

○新世界国際劇場
取材先:新世界国際劇場・新世界国際地下劇場 
支配人 富岡和彦氏 
(ナニワサービス株式会社 代表取締役専務)

新世界国際劇場  新世界大弥興行経営。元は1930(昭和5)年に竣工した南陽演舞場で、1950(昭和25)年から映画館「新世界国際劇場」になった。外観は演舞場時代のまま残っており、大正末期から昭和初期に流行したアール・デコの装飾が施されている。設計は、木楽器本店を設計した増田清である。増田は日本の初期鉄筋コンクリート構造(RC構造)建築普及に貢献した建築家であり、特に耐震を重視し極めて頑丈な建物を設計している、昭和初期の建築家である。彼なしには大阪の鉄筋コンクリート建築は語れないとまで言われた。
開館当初は(封切館から1~2週間遅れで新作を上映する)二番館だったが、現在は新作・旧作を織り交ぜた洋画名画座。
各席数 約400席

新世界国際地下劇場  新世界国際劇場の地下にある。名画座だったが、現在は成人映画を上映。
客席数 約200席

冨岡支配人から、館の歴史から語ってもらった。

館の歴史
芸妓の踊りを観る旧「南陽演舞場」から始まりました。(聞き手注:「ジャンジャン横丁」は通称で、正式名称は「南陽通商店街」である)現在の映画館・国際劇場に変わってからですが、元の所有者から、縁故にあたる現社長が買い取りました。映画館になってからは、東映の封切館・再映館として、作品を上映していました。客層は映画ファンよりも、新世界への遊びがてらが多く、館内でのケンカ・いざこざも多くございました。新世界の映画館は、戦後の最盛期は13館あり1950年代まで活況が続きました。公楽・新世界座・東宝・敷島・グランド劇場・大山館などがありました。昭和初年の演舞場の開館のころは、ロープウェイによって、ルナパークと初代通天閣がつながっていたと聞いています。映画館の外観で際立つ丸窓は、色町・花街らしさを演出してるようです。
(聞き手注:ストリームライン・モダン(Streamline Moderne)とは、アメリカ合衆国フロリダ州を中心にアール・デコ様式から派生し流行した様式の一種(マイアミ・アールデコとも呼ばれる)) かつての演舞場の舞台を、現在のスクリーンが覆っています。上映作品の大看板絵の裏には、「南陽演舞場」の看板が残っており、大看板絵の架け替えの時、一瞬だけ観ることができます。
近年
名画座と呼ばれる主に旧作映画を主体に上映する館として運営していますが、作品がデジタルで供給されるようになってきて、近年に約200万円をかけて、音響設備を含めた上映方式のデジタル化を行いました。
最近の客層の変化
男性客が中心ですが、新世界の人気回復もあって女性客の来場が増えてきています。一方で、新世界の映画館という色眼鏡で見にくる客は減ってきたことは、好ましいことです。
上映作品の選択
客層の嗜好と供給条件等を吟味して、上映作品を選択しています。クラシックな建物・空間に惹かれて、映画館の貸出し(貸切)の問い合わせがありますが、行っていません。作品鑑賞のために訪れてくださった馴染み客を失望させ、客足が遠のくのを怖れるためです。福祉政策の補助適用もありませんが、映画鑑賞を楽しみに、開場から毎日のように足を運んでくれる高齢のお客さんも多いのです。
将来に向けて
現在の上映形態を続けていきたいと考えています。まち全体の将来としては、串カツ人気だけで、新世界がいつまでも繁栄するか、お客さまが訪れてくれるでしょうか?新しい集客の目玉が必要ですが、人工的に作りこみすぎると、却って没個性になってしまうでしょう。新世界やあいりん地区は、バックパッカーの宿泊地として人気を博していますが、彼らはナイトレジャーに足を向けないようです。

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