ミナミまちある記 Minami Walking Report

道頓堀に架かる橋をご紹介

新たなミナミの観光名所として、生まれ変わりつつある「とんぼりリバーウォーク」。今回は、ここに架かる橋をご紹介します。一概に橋と言っても、ここに架かる橋は使われている素材や表情に一つ一つに個性があり、ぶらぶらと見て歩いて楽しめるスポットとなっています。それでは、代表的な橋を東側からご紹介。(橋の位置は下のマップを参照)

“縁切り橋”と称される「相合橋」
この橋が初めて架けられたのは1680年代で、当初は中橋あるいは新中橋とよばれていました。宝永4年(1707)に初演された近松門左衛門の『心中重井筒(しんじゅうかさねいづつ)』の一節にも中橋として登場している由緒正しき橋。この橋は、渡ると男女の縁が切れる“縁切り橋”ともいわれ、遊里の人々は橋を渡るのを嫌った。また婚礼の行列もこの橋は渡らなかったらしいです。けれども現在の橋は、床は石張に、橋桁からガラスブロックによる照明が設置され、デートスポットにぴったりの橋となっています。ご安心ください。

木になる意匠の「太左衛門橋」
橋の名は橋の東南角で歌舞伎の小屋を開いた興行師大坂太左衛門に由来するといわれています。芝居小屋などへの通路として、多くの人に利用されていたそうです。大阪を代表する作家、織田作之助の作品に『女の橋』『船場の娘』『大阪の女』という三部作があり、作中のストーリーの節目に太左衛門橋が、一場を構成する重要な役割を与えられています。そういった所以もあってか、現在の橋は木を基調とする歴史的な意匠が取り入れられています。都会の真ん中に江戸時代にタイムスリップしたかのように感じることが出来る橋です。  

道頓堀の代表格「戎橋」
「戎橋」の名前の由来は「戎」の名が表すとおり、今宮戎神社の参道から「戎」とう名前がつけられたという説や、お正月になるとこの橋で西宮戎神社(兵庫県)のお札が配られたからという説があります。訪れた当日はH&Mの新館が開店間もないということもあり、いつにもまして人で賑わっていました。ファストファッションのお店や、粉もん屋さんが周囲には溢れ、ミナミを象徴する橋ですね。現在の戎橋は、橋の中央に円形の広場があり、それに沿ってスロープが設置されており、水辺へ降りながら移りゆく景色を楽しめます。

夕日に照らされたかのような「新戎橋」
2009年にかのカーネル・サンダース像が近くで見つかり若干有名になった橋。橋のたもとには「出世地蔵尊」が鎮座しています。江戸時代に宗右衛門町とこの地(九郎右衛門町)は二大花街として活気を帯び、多くに人が出世を願って地蔵尊に訪れていたそうです。朱色を基調としたデザインで、歩道には白御影石、夜間には高欄にはガラスではさみこんだ和紙から光がもれる照明が特徴。西側からの夕日に照らされた「新戎橋」は、より一層赤く染まり、まるでミナミの情熱を象徴するかのような表情をみせます。  


ページの先頭へ

2011 (c) All right reserved.MINAMI Machisodate Network.